福山藩の歴代藩主

福山藩の藩主は初代水野勝成から数えて水野家5代、松平家1代、阿部家10代と続きました。

福山藩の歴代藩主

※「代」は初代水野勝成から数えて第●代福山藩主という意味です。

 

初代 水野勝成(かつなり)

  • 藩主在任期間…1619年(元和5年)~1639年(寛永16年)
  • 福山藩初代藩主。奈良県大和郡山より移封。

 

2代 水野勝俊(かつとし)

  • 藩主在任期間…1639年(寛永16年)~1655年(明暦1年)

 

3代 水野勝貞(かつさだ)

  • 藩主在任期間…1655年(明暦1年)~1662年(寛文2年)

 

4代 水野勝種(かつたね)

  • 藩主在任期間…1663年(寛文3年)~1697年(元禄10年)

 

5代 水野勝岑(かつみね)

  • 藩主在任期間…1697年(元禄10年)~1698年(元禄11年)
  • 跡継ぎ不在の為水野家断絶

 

6代 松平忠雅(ただまさ)

  • 藩主在任期間…1700年(元禄13年)~1710年(宝永7年)
  • 出羽山形から入封 11年で伊勢桑名へ

 

7代 阿部正邦(まさくに)

  • 藩主在任期間…1710年(宝永7年)~1715年(正徳5年)
  • 宇都宮から移封

 

8代 阿部正福(まさよし)

  • 藩主在任期間…1715年(正徳5年)~1748年(寛永1年)
  • 大阪城代

 

9代 阿部正右(まさすけ)

  • 藩主在任期間…1748年(寛永1年)~1769年(明和6年)
  • 総者番・寺社奉行・京都所司代・老中

 

10代 阿部正倫(まさとも)

  • 藩主在任期間…1769年(明和6年)~1803年(享和3年)
  • 奏者番・寺社奉行・老中

 

11代 阿部正精(まさきよ)

  • 藩主在任期間…1803年(享和3年)~1826年(文政9年)
  • 奏者番・寺社奉行・老中

 

12代 阿部正寧(まさやす)

  • 藩主在任期間…1826年(文政9年)~1836年(天保7年)

 

13代 阿部正弘(まさひろ)

  • 藩主在任期間…1836年(天保7年)~1857年(安政4年)
  • 奏者番・寺社奉行・老中
  • 日米和親条約の締結

 

14代 阿部正教(まさのり)

  • 藩主在任期間…1857年(安政4年)~1861年(文久1年)

 

15代 阿部正方(まさかた)

  • 藩主在任期間…1861年(文久1年)~1868年(慶応4年)
  • 京都守護・長州征伐

 

16代 阿部正桓(まさたけ)

  • 藩主在任期間…1868年(慶応4年)~1869年(明治2年)
  • 1869年~1871年 福山藩知事

 

水野勝成

  • 生没年・・・1564年(永禄7年)~1651年(慶安4年)
  • 福山藩水野家初代藩主

水野勝成肖像画(賢忠寺蔵)

1564年(永禄7年)、三河国に生まれる。

勝成の父である忠重の姉は徳川家康の生母であり、家康と勝成は従兄弟同士である。

20歳の時に父の寵臣を切って流浪、佐々成政・小西行長・加藤清正・黒田長政などに仕えた後、35歳で徳川家康の仲介により水野家に帰る。

1600年(慶長5年)父の死後、刈谷三万国の領主となり、関ヶ原の合戦では西軍の大垣城を降した戦功により日向守に任じられ、更に大坂冬の陣、夏の陣での功により大和郡山にて6万国を封じることとなる。

その後、安芸広島・備後一帯を納めていた福島正則が改易されたことにより1619年(元和5年)56歳の時に福山藩の初代藩主となる。

福山城築城、城下町の設営、干拓、治水工事など福山の礎を築いた他、神社仏閣の修理や再建にも力を尽くす。

1651年(慶安4年)3月15日に88才で死去、寺町の賢忠寺にて葬られる。

 

阿部正弘

  • 生没年・・・1819年(文政2年)~1857年(安政4年)
  • 福山藩阿部家7代藩主

阿部正弘肖像画(福山誠之館同窓会蔵)

10代正精の6男として1819年(文政2年)江戸藩邸で生まれた。

1836年(天保7年)、18歳で家督を継いだ。

1838年(同9年)、越前松平治好の次女松平謹子を妻に迎えた。

同年奏者番、1843年(同11年)には寺社奉行兼任、1843年(同14年)9月には25歳の若さで老中に抜擢、翌年2月老中首座となる。

その後日光東照宮の修繕、海岸防備、江戸城西の丸の造営などが賞されて、一万石加増。

1853年(嘉永6年)6月、ペリーの浦賀来航、翌1854年(安政元年)3月の日米和親条約の締結にいたる開国問題を老中首座として指揮した。

正弘は1857年(安政4年)6月に没するまで老中の座にあって、英・露・蘭の三か国と和親条約、下田条約の締結を行うも、同年6月17日、39歳の若さで病没した。

幕政としては徳川斉昭・松平慶永・島津斉彬などと連携をとり、衆論を採って当たったことや、優秀な人材を積極的に登用したことが挙げられる。

川路聖謨(かわじとしあきら)や堀利熙(ほりとしひろ)の他、高島秋帆、勝海舟等である。

また、文武一体の教育を進め、江戸と福山に藩校誠之館を設立し、藩士の人材の養成と登用の道を開いた。

 

(※このページは許可を得て福山城博物館ホームページ「福山藩歴代藩主一覧」のページ内容を元に作成および一部転載したものです)